NTTが2030年に実現を目指している、フォトニクス(光)による情報通信基盤「IOWN」というものがあります。
IOWNの科学的・技術的背景というより、背後にある哲学が気になったので読みました。
NTT澤田社長(※当時)と生物学者、人類学者、哲学者、コンピュータ科学者、美学者(?)など、情報通信とは毛色の異なる専門家との鼎談がメインです。そして社長自ら執筆しています。すごい。ただ「ほほーなるほど」と思わせる議論もありつつも、全体的には「その哲学の実現にIOWNは本当貢献するの?」と疑問に思うものも多く、ちょっと考察が浅いと感じました。
また、本書は2021年12月出版の書籍であることに注意が必要です。2021年12月というと、まだChatGPTは世に出ていません。新型コロナに関してはワクチン接種は始まっているものの感染症法上の2類に指定されていて、症状が重くなりやすいデルタ株からオミクロン株への流行の変化が進んでいた時期です。
たとえば、p.19で澤田社長は
必ずしも、シンギュラリティはやって来ないだろうというのが私の考えです。
と述べていますが、昨今のLLMを踏まえた上でもなお考えが変わっていないかどうかは気になります。(NTTも tsuzumi っていうLLM作ったよね?)
本書のもやもや
データとアルゴリズムによる「データ至上主義」を批判しているのに、IOWNの特長として「大容量のデータを処理できる」ことを主張する
大量のデータを集めてAIに食わせりゃいい、というビックテックの世界観を批判しているのに、IOWNの特長として上記を主張されると「え、NTTも結局データ欲しいの?」ってなる。もっとシンプルに
- エネルギー問題で人類の持続可能性が怪しい
- エネルギーを生む発明:核融合発電とか
- エネルギーを節約する発明:IOWN
という位置づけで、「IOWNは社会基盤である」と主張した方がすっと腹落ちしたなと。
「SNSによるエコーチェンバーが深刻」→本当?
何のエビデンスもなしに「SNSはエコーチェンバー化している」前提で議論が進む場面が多くもやもやします。鼎談のゲストは高齢な方が多いのだから、むしろSNS以前、インターネット以前の世界でもエコーチャンバーに相当する現象は無かったのか(あるよね。カルト教団とか)、あるとしたらどういう条件でそれは発生するのか、などを考察してほしかった。
特にフェイクニュースはじめインフォデミックへの対策として
信頼しうる情報の即時大量供給
と述べていて…いや、それって皆さんが本書で散々礼賛していた環世界的な考え方ではむしろ到底受け入れられないアイデアじゃないですかね…
フェイクニュースが厄介なのは、「嘘をつくコスト << 嘘かどうか検証するコスト」だからじゃないでしょうか。IOWNにより(機序はさておき)検証するコストが極小になるのだ → だからインフォデミック対策として有用 というロジックなら納得だったのですが、中央集権的に信頼しうる情報の即時大量供給をすると言われてしまうと、それは「日本ファクトチェックセンター」みたいな胡散臭い動きと何が違うのか分かりませんでした。検証コストを下げるという意味では、Xの「コミュニティノート」の仕組みは割とよくできているなと思います。
現実の多様性を知ってる?
多様性を受け容れると口で言うのは簡単ですが、これは自分にとって不快・不安・不利益な存在や表現も認めるということです。そして多くの人にとってそれは苦痛な場合があります。
本書では多様性が損なわれる弊害の一つに「グローバルで様々な専門家と出会うことによるセレンディピティが生まれない」ことを挙げていますが、はっきりいって市井のふつうの生活者にとってこんなことはどうでもいいことです。
本当に多様性を重視するなら、率先垂範でたとえば本書ではIOWN構想に好意的な人とのみ対談していますが、IOWNに懐疑的な人(胡散臭い。ビッグマウス。誇大広告。と思ってる人)と対談するとかやってみても良かったと思います。…そこで相対する本物の多様性には耐えられるかは疑問ですが。
地理的・領域的な差異があっても「エリート」としか交流しないのなら、それは結局カズオ・イシグロのいうところの「横の旅行」に過ぎないのかなと。
俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。
私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。
それとセレンディピティという意味では、筆者が批判している「データとアルゴリズム」によるAI推薦エンジンの方がよほど人類に貢献していて既に実用的だと思います。Spotifyでレコメンドされたアーティストが好みドンピシャでQoLが上がるなんてことはよくあるし、Amazonの「この商品を買ったひとはこんなものも買ってます」には何度も助けられています。
インターネットに備わった"ピュシス"的な側面を評価していない
おそらく澤田さんも判っててやってるのだと思いますが、インターネットってそもそもが高度に自律分散された設計(OSI7層プロトコル、DNS、BGPしかり)なので、中央で集権管理する主体はどこにも無く、これは筆者らの言うところの"ピュシス"的なものですよね。そういった側面を評価せずに「IOWNはインターネットに代わる通信インフラ」と主張している点が残念でした。
本書の良かったところ
社長が哲学を語れるところ
もやもやを沢山書いたのですが、そんなことがどうでもよくなるほど良かったのは、技術で飯を食ってる会社の社長が、文系理系の枠を超えてエキスパートと対談し、事業哲学について存分に語れる点です。素晴らしい。社長にこのレベルの本出されると、役員幹部層も会社のビジョンがお題目ではなく本当に実現すべき未来なんだなと理解し気が引き締まりそうです。翻ってヘイシャ社長がこのレベルで哲学を語る姿は想像できません。。。